演奏する前に知っておきたい
ピアノのしくみのお話💎✨
音作り・ピアノ作り
1. いいピアノとは
『いいピアノ』 とはどういうピアノのことを言うのだろう。
いろいろな文献を紐解いてみると、さまざまな角度から書かれてある。
「(1)タッチは敏感で、かつ軽快であること
(2)音が澄んでいて、強弱音が容易に出せ、かつ強弱量の幅が広いこと
(3)音もタッチも全体が均整されていること
(4)鍵盤もアクションもひとつの線のように整然としていること
(5)音階が正確であること。」
(中谷孝男著 『ピアノの構造と知識』より)
「だいたいピアノという楽器に要求される要素として、まずオーケストラ的なもの、たとえば雄大な鳴りの問題や、管を思わせる響き、弦楽合奏的な音、オルガン的要素、チェンバロ的な面、それらをすべて満足させながら、何よりもピアノでなければ出せないピアニスティックな面を満足させる楽器でなければならない。」
(杵淵直知著 『ピアノ知識アラカルト』より)
「優秀なピアノほど、その場を離れて聞いても、音の伸びの良さ、ハーモニーの美しさがわかるものです。」
(斎藤義孝著 『調律師からの贈物』より)
また、その選定に関しては …
「ピアノの選定とはつまるところ音の選定であり、楽器の持つ音楽性を洞察する力がなければ出来ないことなのです。
音は最初にピアニッシモを出してみて明快で伸びるかどうか、他の人に弾いてもらって少し離れたところで聞かれるのが良い方法です。(中略)またメゾフォルテもフォルティッシモも全く同じような音を出すピアノがあります。そしてそんなピアノは多くの場合ピアニッシモがモヤモヤして明快ではありませんし、タッチも手袋をはめたような感じです。音としてはまず頭でっかちでなく、同じ幅でどんな強さでも伸びていくようなピアノを選ぶことです。」
(杵淵直知著 『ピアノ知識アラカルト』より)
そして、どの本にも書かれていることは、品質を保つための管理、つまり調律・整音・整調がなされていることが必要条件である。
しかし、その条件が充分に満たされているとすれば、それ以前の問題、つまり製造過程での良し悪しが問われることになる。
「レオニード・クロイツァーはこう言っている。『ピアノの出す一つの音は、(中略)それ以上の何ものでもない。一つの音だけでは純物理学的現象であり、工場で製作された製品である。』(中略)だからこそ、ピアノはポーンと鳴らした単音がまず美しくなくてはならない。
ピアノを選ぶ時、私の場合は、まずはじめに最低音から最高音まで、全域にわたって一つ一つの音を鳴らし、それぞれの音にムラがないか、余韻が豊かに続くか 、強弱が十分出るかなど、耳を澄ませて丹念に聴くのである。 (中略)音色のムラは調律師が直せます、という人もあるかも知れない。しかしこれはあまり信用しない方がよい。直せるくらいなら、店に出す時直しておくというのが良心的である。
特にその原因が響板にある場合など、ほとんど不可能といってもよい。これがピアノの選択のコツであり、いろいろ曲を弾いてタッチなど調べたり、全体的な響きをチェックするのはその後ですることと私は考えるのである。
クロイツァーがいう“工場で製作された製品”としてのテストを第一にやるべきだ。」
(高城重躬著 『 スタインウェイ物語』より)
最後に、ルドルフ・ゼルキンの興味深いエピソードを💎✨
「ある地方で二台のスタインウェイのうちから一台を選ぶことになりました。ひとつはよく整調・調律されたもの、もうひとつはあまり手入れもされずに置かれていたものでしたが、ゼルキンは、今は状態がよくないが、 整調・調律をすればこちらのほうが良いと言って後者を選びました。」
(斎藤義孝著 『調律師からの贈物』より)
以上のように、「製造」と「管理」によって 『いいピアノ』 は作られるようである。
2. ピアノのタッチとは
〔ヤマハ / ダブル・レペティション 実線は打鍵前、点線は⑥の状態を表している。〕
ピアノの良さを決定する条件は、音質とタッチの二点に集約され、それは製造と管理によって作られる。
演奏者にとって何よりも切実な問題は、タッチである。
ピアノのタッチを言葉で表すことは困難であるが、その模様を分析してみようと思う。
キーをゆっくりと静かに押下げてゆくと…
①ジャックがハンマー・ロールを突き上げてハンマーを押し上げはじめる。
②キーが3分の1下がったところでキーの奥の先端がダンパー・アクションに当たる。
③半分下がったところで止まるような抵抗を感じて、ジャックがレギュレーティング・ボタンに当たる。
④垂直方向に動いていたジャックが、レギュレーティング・ボタンによって止められ、 その接点を中心に水平方向に弧を描き、ロールの皮を滑りながらハンマーを押し上げ続ける。
⑤ジャックがハンマー・ロールを滑り終えてハンマー・ロールからはずれる。(接近)
⑥ジャックから外れたハンマー・ロールは一瞬のうちに下がり、レペティション・レバーで受け止められる。(ドロップ)
この④~⑥の一連の動きの中に感じられる抵抗感をアフター・タッチと言う💎✨
以上のことは、音の出ないように、ゆっくりとキーを押し下げたときのアクションの動きと感覚であって、実際にピアノを打鍵したときにはこのほかに…
⑦キーが一番下に行き止まる感覚。(キーとフロント・パンチングクロスが当たる感覚)
⑧ハンマーがバック・チェックに受け止められる感覚。
⑨キーの先端によってはね上げられたダンパー・アクションが、キーの先端に再度落下した感覚。
⑩キーの重さと戻りの感覚。
以上の感覚が約10ミリのキーの動きの中に一瞬のうちに総合的に感じられるのがピアノのタッチである。
「打鍵に当たってキーが指に与える抵抗」とも言えよう。
良いピアノのタッチは、打鍵のスタートの時は抵抗感があり、徐々に軽くなるものである💎✨
タッチという言葉のもう一つの意味に「演奏する人の技術」ということがあるが、例えば「軽妙なタッチの演奏」などと言えば、軽やかに指が鍵盤にふれる、という意味よりもむしろ、軽やかに打弦するハンマーがコントロールされる巧みな演奏という意味を秘めていると考えて良い。
3. アクションのつくりと整調
アクションの構造のすべてが梃(てこ)の応用でできていて、数個の梃の連動のうちに、距離にして、打鍵時の10ミリから打弦時の47ミリ、速度にして、打鍵時に秒速5mの場合は打弦時の秒速30mへと動きを増幅させる装置となる。
各部の動きはすべて弧を描き、その支点となる回転軸はセンター・ピンと呼ばれる洋銀または特殊真鍮製の細い棒である。
すべりを良くするために木質との間にブッシング(あてもの)が必要である。多くは繊維が使われているが、ニューヨーク・スタインウェイなどは一時テフロンを採用していた。これは摩擦が非常に少なく、タッチを敏感にすることができる。
アクションの機構に摩擦やロスがあると、タッチに渋滞をまねくが、製作の時点では最少限にとどめられていると考えられる。
長年の使用により、または管理状況などで本来の動きに誤差を生じた場合や、演奏者の好みで各部を調整することを、整調という。
タッチが重い、あるいは軽いと感じられる場合、物理的な重さ(グラム数で表される)はキーにはめこむ鉛の量や位置で調節されるが、感覚的なものが原因であることが多い。
ピアニストがキーの重さとして感じるものは、アフター・タッチの強さ、それが抜けてから後の深さ(ナッハドロック)、それに発音状態がある。
アフター・タッチの強さにはメーカーによる主張の違いもあるし、奏者の好みもあるが、一般によく調整されたピアノではこれが明確に感じ取られ、それを好む奏者も多い💎✨
その理由は、ハンマーに与える指のエネルギーの大きさを明確にコントロールできるからである。
その後のナッハドロックは、多いとキーが深く感じられ、少ないと浅く感じられる。ミケランジェリは、このナッハドロックを頼りに音色の変化を出しているという。
これらはレギュレーティング・ボタン、レペティション・レバー・スクリュー、ジャック・スクリューで、打弦距離はキャプスタン・スクリューで調節される。
発音状態はキーの重さと最も深い関係をもっている。
耳はあるタッチによる音を期待して聞いている。出過ぎれば軽く、出なければ重く感じるものである。
まったく同じ状態に整調された2台のピアノで、一方は割れるようなメタリックな音を出し、一方は柔らかめのハンマーで、力を入れなければフォルテの出しにくい、むしろ鳴らないピアノである場合は、ピアニストは後者を重く、前者を軽いと感じる訳である。
演奏者は、敏感でニュアンスの豊かなピアノをいつも求めている。速いスピードでの同音連打が困難な時や、ピアニシモのレベルでニュアンスが出しにくい時などは、敏感さに欠けると感じられる。
現在使用されているダブル・アクションにはレペティションにスプリングがつけられていて、キーを完全に戻さなくても音が出せるようになっている。そのスプリングの強さを調節することで微妙にタッチが変わる。スプリングの調節はバックチェックと並行して行われる。
ピアニシモが出しにくい時の原因に、ハンマー・ロールの変形がある。消耗により、ジャックとの接触面で本来の丸形を失い、硬化して団子型になってくると、アフタータッチに影響を与え、特にピアニシモを弾きにくくなる。
消耗による変化を正し、タッチを整えることが整調であるが、日本の場合、ことによると使用の度合いによる消耗より、湿気や温度差に対する保護の不十分さがピアノの損傷につながることが多いかもしれない。
湿気を吸うとフェルト類、木材の部分がふやけて、音が出にくくなってくる。
使用によって消耗する部分といえば、ハンマーヘッドがあげられる。
4.ハンマーのつくり
ハンマーヘッドは音の質に最も直接的にかかわる、いわば発声部分であり、ピアノの良否を決定する重要な部分である。
このヘッドに使われるフェルトは、メリノ種の羊毛が上質で(つまり毛脂が多く、細く弾力性に富む)好ましい。
アクションの全幅(88鍵分)の長さの一端は厚くもう一端は薄い、勾配になっているフェルトを作る。12cmほどの幅に断ち、図のように角をそぎ取る。そして三角の頂点を中に、底辺で包むように、同じく長さが88鍵分の、大きさが勾配になっている一本の本片に圧搾して、にかわ付けされる。にかわが乾いた後、88個にスライスされるのである。 (にかわ = 家畜・クジラ・魚類の皮・腱・骨を煮沸して得られる粗製のゼラチン。接着力が強い。)
低音から高音にかけて、それぞれの弦のサイズに合せてハンマーの大きさも変わってゆく。
高音部のいくつかのハンマーは、フェルトの付根の部分を、木部にホッチキス状の留金で留められる。
良質なハンマーが作られる際には、かなりの圧力がフェルトにかけられる。その圧力はヘッドの周囲に張力を与え、内部に圧縮をもたらす。それらは、良い音を出すのに必要な弾力性をもたらし、耐久力を強める。
補強のために薬品の溶液をつけて色を変えられたヘッドがある。硬化することで確かに大きな音を出せるが、ピアノ本来の音の美しさや豊麗さは失われてしま う。
人間の耳は、 圧縮された純粋な羊毛が弦を叩く音と、硬化剤で固めた音とを完全に聴き分けてしまうのである💎✨
ゆえに広範囲に使われることはない。
しかし、留金に近い元の部分に若千塗布するのは今では常識的なことのようだ。
ハンマーの芯に近い部分に赤や緑の別種のフェルト(アンダーフェルト)が巻込まれているものがあるが、これは必ずしも必要ではない。ただし、低音部はフェルトに厚みがあるので、これがある方が無理がないといわれている。
5.整音
出来上がったハンマーが声帯だとしたら、そのピアノに発声法を教えることが整音である。
生れついた声帯を変えることは不可能だが、発声法を学ぶことによって浪曲をうなったり、シューベルトを歌ったりできるようになるのと同じで、ピアノも整音しだいで全く違う音を出すことが可能なのである。
ピアノの良否は、殆どその整音の良否であるといってもよく、いわばそのピアノの死命を制する決定権を持っている💎✨
割れ鐘のような音を時間をかけて良くすることもできるし間違った整音をしてハンマーをだめにしてしまうと、それ を取替えるまで悪いピアノだというレッテルを貼ってしま うことになりかねない。
ではどういう方法で整音は行われるのか。
道具は針と硬化剤である。
硬化剤はハンマーを硬くする必要のある時に用いられるが、前述のとおりで、最高音部のごく一部にしか使われない。
整音の仕事とは主にフェルトに針を刺すことである。(ヴォイシング)
ハンマーの打弦点は、形に丸みを帯びていることとその弾力性から、ある程度面積を持ち、打弦の瞬間にごくわずかではあるが弦を押えてしまう。
弦の触れた長さより短い部分の振動(高次倍音)はこの時消されてしまう。
ハンマーが柔らかいと接触時間が長くなり、消される倍音が多くなるため、音がまろやかになる。
頻繁に打たれることでヘッドが硬くなると倍音が増えるために音は華やかになる。フェルトに針を刺すとその部分は内部の圧力でふくれ上がり、ほぐれて柔らかになる。
全体の音をヴォイシングする場合は、まず基音を一つ作りそれに合せて進めてゆく。他に比べて目立つ音だけを調整する場合もある。
この針の刺し方は非常に難しく、よく訓練された専門家でなければできない。
まず整音はフォルテのレベルでなされる。
1オクターブを全く同じフォルテのタッチで弾いて、他と比べて目立って明るい音に針を入れる(図のLOUDのエリア)。芯に向けてまっすぐに深く刺す。同じ方法を全体に広げてゆく。
次に中くらいの音量で揃える(MEDIUMのエリア)。同じく芯に向けて深く刺してゆく。
最後にピアノのタッチで(非常に正確なタッチで)弾いて揃えるのだが、決して深く刺してはいけない。SOFTのエリアの上部1.5mmに限られる。ここに深く針を入れると、張力によって両側に引っ張られ、弦に当たる部分が粗になってしまい、再び良い音を出すことはない。
両サイドの付根に近い部分も、長年の使用に耐えるための強い土台となる所なので、張りのある音を保つためには決してゆるめてはならない。
硬めのハンマーで多くの針が入ったほうが良い音色を出すし、ピアニッシモは明快で、フォルティッシモは割れずに良い音が永続する💎✨
面白いことに、ハンマーが割れてしまっては元も子もないが、針を刺した両肩の部分がいくらか粗になり、割れる気配を見せながら割れずに安定しているハンマーは、非常に良い音を永続して出すという。
これは初めに相当な硬度をもつものにしか許されない。
次にソフトペダルを使った時の整音も行なわれる。
3本の弦の当たり方を均一にするためと、形を整えるために、サンドペーパーで削る作業はヴォイシングの前やフォルテの音を揃えた後でなされるが、ここで打弦面の角を整える。
針の根元でしごくようにして角を柔らかくすると、ソフトペダルをハーフで使った時の音が変わる。
このように、ピアノのタッチや音色など様々な要素は調整が可能なものなので、演奏者は自分の好みや意向を、技術者に伝えることをためらわないほうが良い💎✨
また、そうする必要性を感じられるほどの明確な音楽的意思を持ちたいものである。
〈参考文献〉
「ピアノの構造・調律・修理」 福島琢郎著
「ピアノの構造と知識」 中谷孝男著
「ピアノ常識入門」 北村恒二著
「調律師からの贈物」 斎藤義孝著
「ピアノ知識アラカルト」 杵淵直知著
「スタインウェイ物語」 高城重躬著
「楽器の事典ピアノ」 東京音楽社
「PIANO SERVICING, TUNING, & REBUILDING」 by Arthur A. Reblitz
(このエッセイの原稿は1990年頃に書いたもので、当時所属していたピアノサークルの会報に連載されました。
当時は自分がそれまで知らなかったことを次々に知るようになっていくことに、ただワクワクしながら一生懸命に書いたことが思い出されます。
今読み返しても、その時の新鮮な気持ちは色あせることなく、自分で書いたものながら面白さにグイグイ引き込まれてしまいます。
このような原稿に取り組めて良かった、素晴らしい経験をさせていただいたと、感謝の気持ちが溢れてきます。
また、このページを訪れ、稚拙な文章にお付き合いくださり、ここまでお読みくださった皆さま、本当にありがとうございます。心から感謝いたします💎✨
このエッセイが皆さまの実り多い音楽人生において微細な一助になりましたら幸いに存じます。)
細川節子 2021年2月5日